緑の栗鼠と団栗の樹の芽。
 
動物キャラの限界突破とかを目論むブログです。
 



心の闇、その中の光。

僕は、子供の頃、というか、何となく想像してみる、という事をするようになった時、強く思うようになった事がありました。
それは、幼稚園の頃は小学校になったら死ぬ(イジメに巻き込まれて死ぬかも、と思いましたが、それとはまた別です。)、小学校の頃は中学受験に失敗して死ぬ、中学校の頃は高校に進級出来ずに死ぬ、高校の頃は大学受験に失敗して死ぬ、大学の頃は・・・という風に、もの凄く暗く世界が見えていました。
正直、今でも似た様な色に見えてはいます。
ただ、違う色も見えるようになりました。

違う色というのは、僕の今までの人生に於いて、友人で在ってくれた方や、ガンバの冒険のような物語でした。

そのうち、自分も素敵な作品を創れる者になりたい、自分は友人にとって相応しい者になりたいと思うようになりました。
それは、強すぎて視野の狭いコダワリになってしまう事も多々でしたが、それでも「光」の方向に向かおうという意思を持つようになりました。

僕にとって「絵」とは、ある一面において「自分の存在意義、利用価値を確立して、尚且つその作品は自分の好きな者達に提供される価値のあるべきモノ。」を目指しているものと言えます。
また、「自分が、光り輝くものだと考えているものを表現する。」というのもあるのです。

「緑の栗鼠と団栗」は、どっちかと言えば趣味に走っています(笑)。だから、気楽な感じで本音が出るかもしれないです。しかも、自分だけで創ってる訳では無いので、どういう色の「光」になるのか楽しみです。



10月6日(木)12:45 | トラックバック(0) | コメント(4) | 動物キャラとか。 | 管理

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コメント

 1: 絵について

僕も自分の存在意義についてはしょっちゅう悩みます。自分より頑張っている若者の事を知るごとに思います。自分の存在意義って何?…と。僕は結構長く(片手間で)絵を描いていますが、全然上手くなりません。それは自分が心から絵を描く事が好きじゃないから?ホントに好きならもっと努力するはずなのに何故…なんてしょっちゅう悩みます。僕より絵の上手い人は星の数ほどいます。そんな中で、自分がなにを出来るか?自分が何をするべきか?まだ見えません。僕のHPは最初は動物漫画の発展と繁栄を願って創りました。しかし、今は自分の趣味に走り、脱線しまくっているようにしか見えません。自分が心から胸を張って誇れるような作品が描ければ、ちょっとは自信が持てるようになるとは思うのですが…。

 by K(動物漫画) | 10月10日(月)15:53

 2: 僕のこの、「緑の栗鼠と団栗」は、

ある意味、脱線しまくる為に創りました。
可能性はきっと、今までにない新しい所や、よくわからない変な所にあると信じています(笑)。

僕も、自分が心から胸を張って誇れる作品を描きたいと考えていますけど、満足したらそれでお終いだと、常に問題意識を持っていたいなあと考えています。疲れちゃって頭が痛くなりますが(汗)。


 by 樹中遊路(森の管理人) | 10月11日(火)12:41

 3: そうですね。

自分で限界決めてしまったらそれまでですねぇ。しかしまぁ、そう簡単には追いつけないでしょうから、努力の日々が続く事でしょう。

 by K(動物漫画) | 10月11日(火)23:45

 4: 努力という言葉、

僕自身、好きなのか嫌いなのかわからなくなる時があります。

 by 樹中遊路(森の管理人) | 10月12日(水)02:12


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